東京高等裁判所 昭和42年(ネ)1092号 判決 1969年9月04日
控訴人 稲村修治
被控訴人 松江花 外一名
主文
1、本件控訴を棄却する。
2、控訴費用は控訴人稲村修治の負担とする。
3、原判決のうち主文第二項の建物明渡請求を認容した部分は、被控訴人松江花において金五〇万円の担保を供することを条件として、仮に執行することができる。
事実
一、申立
控訴人稲村修治 原判決のうち同控訴人敗訴の部分を取り消す、被控訴人松江花の同控訴人に対する請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも同被控訴人の負担とする、との判決を求める。
被控訴人松江花 主文第一項同旨の判決と原判決主文第二項の建物明渡請求について仮執行の宣言を求める。
二、主張
当事者の事実上の主張は、左記のほか、原判決の事実摘示を引用する。(ただし、原判決事実摘示のうち、原審昭和四〇年(ワ)第九九一号事件に関する被控訴人松江花の申立に昭和四一年一一月一日とあるのは昭和四〇年一一月一日の誤記と認める。)
(一) 控訴人稲村の主張 (1) 控訴人稲村修治は、昭和四〇年五月二七日、被控訴人松江花代理人松江博および訴外国土総合開発株式会社(以下「訴外会社」という。)との間で「被控訴人松江花は同月末日までに原判決添付物件目録二(一)の建物(以下「本件(一)建物」という。)を代金一五〇万円で控訴人稲村から買い戻す。同被控訴人において買戻をしない場合には、訴外会社は同年五月分以降の本件(一)建物の賃料を同控訴人に支払い、同被控訴人はこれに対し異議を述べない。」旨の契約が成立した。この契約は、本件(一)建物の所有権の帰属をめぐり控訴人稲村と被控訴人松江との間に存した紛争を解決することを目的として両者の互譲によりなされた和解契約であるところ、この和解契約は控訴人稲村に本件(一)建物の所有権が存することを当然の前提とするものであり、契約成立の時点において前記建物所有権が控訴人稲村に帰属することを確認したのであるから、本件(一)建物の所有権は、和解契約の成立した昭和四〇年五月二七日、控訴人稲村に移転したと解すべきである。したがつて、仮に控訴人稲村が原判決事実摘示記載の代物弁済予約完結の意思表示により建物所有権を取得しなかつたとすれば、同控訴人は、前記和解契約により同四〇年五月二七日に建物所有権を取得した。(2) 仮にこの所有権取得が認められないとしても、和解契約の内容として、被控訴人松江が同月末日までに建物を買戻さなかつたときには、控訴人稲村は本件(一)建物の所有権を確定的に取得する旨の約定がなされたところ、同被控訴人は同日までに買戻をしなかつたから、控訴人稲村は同月末日の経過とともに建物の所有権を取得した。
(二) 被控訴人松江の主張 (1) 控訴人稲村の当審における前記主張は、時機に遅れて提出された防禦方法であり、不適法であるから却下を求める。(2) 控訴人稲村主張の契約は、民法六九五条の和解契約ではなく、単なる売買契約にすぎない。よつて、この契約により本件(一)建物の所有権が控訴人稲村に移転した旨の同控訴人の主張は失当である。
三、証拠<省略>
理由
(被控訴人松江の控訴人稲村、被控訴人加藤に対する建物所有権確認請求について)
一、原判決添付物件目録二(一)(二)(三)の各建物がもと被控訴人松江花の所有に属していたこと、同目録二(一)の建物(本件(一)建物)につき、控訴人稲村のため、昭和四〇年三月二四日横浜地方法務局磯子出張所受附第二五八八号をもつて代物弁済予約を登記原因とする所有権移転請求権保全仮登記、同年四月二八日同出張所受附第四〇五四号をもつて所有権移転登記、同年三月二四日同出張所受附第二五八七号をもつて抵当権設定登記がそれぞれなされたこと、および控訴人稲村が本件(一)建物を占有していることは、全当事者間に争いがない。
二、控訴人稲村は、その主張する代物弁済予約完結の意思表示により、本件(一)建物の所有権を取得したと主張する。
控訴人稲村と被控訴人加藤との間において成立に争いがないことから弁論の全趣旨により全当事者間で成立を認め得る乙第二号証および同第六号証の二、原審証人近藤末吉の証言により成立を認め得る同第九号証、法務局作成部分の成立に争いなく近藤末吉の証言によりその余の部分の成立を認め得る同第六号証の一、成立に争いのない同号証の三、控訴人稲村と被控訴人松江との間で成立に争いがないことから弁論の全趣旨により成立を認め得る丙第六号証、同第七号証、原審証人近藤末吉の証言、原審および当審における控訴人稲村本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。
被控訴人松江花の代理人である松江博は、昭和四〇年三月二〇日、控訴人稲村から、弁済期は同年四月二〇日とし、たゞし同被控訴人において左記約定の利息の支払を怠らなければ、契約を更新して弁済期をさらに一カ月宛順延すること、利息は一カ月二万円宛とし毎月二日に支払うことの約束で、金五〇万円を借り受け、その際、この貸金債務を担保するため、同控訴人のため本件(一)建物に順位一番の抵当権を設定することを約し、さらに弁済期に債務の弁済をしなければ、債務の弁済にかえ、本件(一)建物の所有権および原判決添付目録二(二)(三)建物の所有権ならびに同被控訴人名義の横浜七五局一〇〇四番電話加入権を同控訴人に移転する旨の代物弁済の予約をした。そして、この貸金債務につき、被控訴人松江は、同年三月末日までの利息および前記の金員貸与に対する謝礼として二万円を同月二〇日に控訴人稲村に支払い、さらに同年四月二日に同月分の利息の一部として一万円を同控訴人に支払つた。
原審および当審における証人松江博の証言、原審における被控訴人松江花本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、前掲各証拠に対比して採用することができない。
以上認定の事実によれば、被控訴人松江は前記の各金員を控訴人稲村に支払つたのであるから、利息制限法一条ないし三条の適用により、同年三月二〇日に控訴人稲村に支払われた二万円のうち同月末日までの同法一条所定の制限利息二、九五八円を控除した一万七、〇四二円は元本の弁済に充当され、さらに同年四月二日に控訴人稲村に支払われた一万円のうち同月二〇日(本件消費貸借の弁済期)までの制限利息四、七六二円を控除した五、二三八円は残存元本に充当されたと解すべきである。このように、被控訴人松江は約旨に従い利息の支払をしたのであるから、本件消費貸借は前記認定の約旨により更新され、更新後の消費貸借の弁済期は一カ月後の同年五月二〇日となり、かつ前記の制限超過利息の元本充当により、更新後の消費貸借の元本は四七万七、七二〇円になつたということができる。
控訴人稲村は、被控訴人松江が、本件(一)建物について順位一番の抵当権を設定する義務を負うているのに、約旨に反し順位一番の抵当権を設定しなかつたと主張するところ、この主張の趣旨は民法一三七条三号の期限の利益喪失の主張であると解すべきものとしても、同条同号にいう「債務者が担保を供する義務を負う場合においてこれを供せざるとき」とは、担保を全く提供しない場合のほか、実質的に考察して被担保債権の弁済を確保するに十分でない担保を提供したにすぎない場合をいうと解すべきであつて、債権の回収を実質的に担保するに十分な担保が提供された場合には、同条同号の適用はないと解するのが相当である。ところで、成立に争いのない乙第一号証によれば、被控訴人松江が控訴人稲村のため抵当権を設定することを約した本件(一)建物には既に訴外横浜いすずモーター株式会社のため債権額を九七一、五〇〇円とする先順位の抵当権が設定されていた事実が認められる。しかし、後記認定のように、この建物は被控訴人松江から訴外国土総合開発株式会社に賃料一カ月九万円で賃貸されていただけでなく、控訴人稲村は、同四〇年五月二七日被控訴人松江代理人松江博からこの建物について買戻の交渉を受けた際、同月末日までに買戻す場合には代金一五〇万円とする旨合意し、さらにその後代金を二三〇万円に増額するのでなければ買戻に応じない旨申し入れているのであつて、この事実に徴すれば、前記建物についてさきに認定した先順位抵当権が存しかつ後記認定のように訴外会社が敷金四五万円を差入れている事実を考慮しても、なお本件(一)建物の担保価値は本件貸金債務を担保するのに十分であると認めるのが相当である。よつて、被控訴人松江が約旨に反し前記先順位抵当権の附着した本件(一)建物を担保に供したとしても、民法一三七条三号の適用により債務者である同被控訴人において期限の利益を喪失すると解すべきではない。
以上認定の事実によれば、控訴人稲村が前記契約の約旨により本件(一)建物につき代物弁済予約完結の意思表示をした日であると主張する同四〇年四月二四日当時においては、前記予約の基本とされた本件貸金債務の履行期は到来していないのであるから、履行期の到来を前提とし、予約完結の意思表示により本件(一)建物所有権が控訴人稲村に移転した旨の同控訴人の主張は、その余の判断を加えるまでもなく失当であり、同控訴人主張の前記予約完結の意思表示によつては、本件(一)建物の所有権は同控訴人に移転しないと解すべきである。
三、つぎに、控訴人稲村は和解契約により本件(一)建物の所有権を取得したと主張する。被控訴人松江は、この主張は民訴法一三九条により却下を免れないと主張するが、本件訴訟の経過に徴すれば、この主張の提出により本件訴訟の完結を遅延させるとは認めることができないので、却下の申立は採用できない。よつて、控訴人稲村の前記主張の当否について判断する。
原審証人小野崎敏夫の証言およびこれにより成立を認める乙第五号証、原審における証人近藤末吉の証言、原審および当審における証人松江博の証言、控訴人稲村修治本人尋問の結果、原審における被控訴人松江花本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。
控訴人稲村は、昭和四〇年四月二八日、代物弁済予約完結の意思表示により本件(一)建物の所有権が自己に移転したとして、かねて被控訴人松江から交付を受けていた同被控訴人署名の用紙等を使用して登記申請書類を作成し、前記仮登記の本登記手続を了した後、本件(一)建物の賃借人である訴外会社に対し同年五月分以降の賃料の支払を請求したところ、被控訴人松江において異議を述べ、こゝに控訴人稲村と被控訴人松江との間で建物の賃貸人の地位(建物所有権の帰属)をめぐり紛争を生じたので、この紛争を解決するために、同年五月二七日、控訴人稲村、被控訴人松江花の代理人である松江博、訴外会社の代理人である小野崎敏夫が協議した結果、左の契約が締結された。(1) 被控訴人松江は同月末日までに本件(一)建物を代金一五〇万円で控訴人稲村から買い戻す。(2) 同被控訴人が買戻をしないときは、訴外会社は同月分以降の賃料を控訴人稲村に支払い、被控訴人松江はこれに対し異議を述べない。そして、控訴人稲村は、前記建物の賃貸人の地位を承継し、訴外会社が建物を明渡したときには、これに対し敷金四五万円(訴外会社から被控訴人松江に差入れられていた敷金)を返還する。
被控訴人松江は、この契約には要素の錯誤があるから無効であると主張し、そうでないとしても民法九〇条により無効であると主張するが、当裁判所は、この主張をいずれも失当であると考えるのであつて、その理由は原判決記載の理由と同一であるからこれを引用する。
しかしながら、当審および原審における証人松江博の証言、原審における松江花本人尋問の結果によれば、控訴人稲村はその後間もなくすなわち同四〇年五月末日頃、電話で被控訴人松江に対し、前記約旨による代金一五〇万円では本件(一)建物の買戻に応じがたい旨申し入れ、買戻代金として二三〇万円を要求したので、同被控訴人は、同控訴人において代金一五〇万円で買戻に応ずる意思がないものと判断し、同控訴人の申出を承諾して前記同月二七日の契約による買戻をしないことに同意した事実を認めることができる。
当審および原審における控訴人稲村修治本人尋問の結果、当審における証人綾部堅の証言のうち前記認定に反する部分は前掲証拠と対比して採用することができない。
ところで、同月二七日に締結された前記契約は、控訴人稲村、被控訴人松江代理人松江博、訴外会社代理人小野崎敏夫が一通の書面(乙第五号証)に署名して成立したものではあるが、その内容とするところは、前記認定のとおり、控訴人稲村と被控訴人松江との間で本件(一)建物の所有権が同控訴人に移転したことを確認したうえ、これを同被控訴人において同月末日までに代金一五〇万円で買い戻すことができる旨合意し、これによつて両者間の建物所有権をめぐる紛争を解決し、またこの合意に基づき確定すべき所有権の帰属に応じ建物賃貸人の地位が変動することに着目して、両名と前記会社との間で建物賃貸人を控訴人稲村被控訴人松江のいずれとして取扱うべきかについて合意がなされたのである。このように、前記三名の合意のうち本件(一)建物所有権の帰属自体に関する合意は、被控訴人松江と控訴人稲村間の法律関係に関するものであるから、この部分は、前記会社を関与させなくても、控訴人稲村と被控訴人松江との間のみで解約できると解するのが相当である。ところで、控訴人稲村が同月末日頃被控訴人松江に対しなした前記電話による申入は、契約の約旨による代金一五〇万円での買戻に応じがたいというのであつて、前記契約が被控訴人松江と控訴人稲村間の本件(一)建物所有権をめぐる紛争を解決することを目的として締結されるにいたつた経緯、および前記契約が前記買戻と不可分一体の関係において建物所有権の帰属を合意するものであることから考察すれば、控訴人稲村の主観的意図はともあれ、同控訴人の被控訴人松江に対する前記申入は、単に買戻の約定のみについての解約申入であると解すべきではなく、これをも含め本件(一)建物の所有権の帰属に関する前記合意のすべて(前記契約のうち被控訴人松江と控訴人稲村間の法律関係に関する合意のすべて)についての解約申入の意思表示であると解するのが相当である。そして、被控訴人松江においてもこの申出を承諾したことは前記認定のとおりであつて、これは控訴人稲村の前記解約申入に対する承諾の意思表示であると解すべきであるから、ここに、前記契約のうち建物所有権の帰属に関する部分は、控訴人稲村と被控訴人松江との間で合意解約されたと解するのが相当である。よつて前記和解契約により本件(一)建物の所有権を取得した旨の控訴人稲村の主張は採用のかぎりではない。
四、以上述べたところからすれば、原判決添付目録二(一)(二)(三)の各建物は被控訴人松江の所有に属するものであり、控訴人稲村及び被控訴人加藤がそれぞれこれを控訴人稲村の所有に属するとして抗争しているのであるから、控訴人稲村、被控訴人加藤に対し、その所有権の確認を求める被控訴人松江の請求は理由がある。
(被控訴人加藤の控訴人稲村に対する建物収去土地明渡の請求について)
五、本件(一)建物の所有権が被控訴人松江に帰属しており、控訴人稲村に移転しなかつたことは、前記認定のとおりである。してみれば、前記建物の所有権が控訴人稲村に移転したことを前提とする被控訴人加藤の控訴人稲村に対する請求は、その余の事実につき判断を加えるまでもなく失当である。
(被控訴人松江の控訴人稲村に対する登記抹消請求について)
六、原審証人小野崎敏夫の証言および弁論の全趣旨によれば、控訴人稲村は、昭和四〇年五月分から同年一一月分まで一カ月九万円の割合による賃料合計六三万円を訴外会社から受領したが、同年一二月分以降訴外会社が本件(一)建物を明け渡した同四一年七月一五日までの賃料については、訴外会社から被控訴人松江に差入れていた敷金で清算することとして、現実には受領していない事実、および訴外会社は控訴人稲村が本件(一)建物の所有者(賃貸人)であると信じ善意で前記賃料を同控訴人に支払つた事実を認めることができる。これによれば、訴外会社の賃料支払は民法四七八条により弁済の効力を生じ、被控訴人松江の同会社に対する六三万円の賃料債権は消滅したと解すべきである。そして、控訴人稲村は前記賃料六三万円を受領することにより法律上の原因なくして同額の利得をしたのに対し、被控訴人松江は賃料債権消滅により同額の損失を被つたものであるから、被控訴人松江は控訴人稲村に対し不当利得による六三万円の返還請求権を取得したものといわなければならない。ところで、同被控訴人は、この不当利得返還請求権のうち同四〇年五月分から同年一〇月分として受領した五四万円を自働債権とし、本件消費貸借上の債権を受働債権として相殺したと主張するところ、成立に争いのない丙第三号証、原審証人蒔田与一の証言、原審および当審における証人松江博の証言、原審における被控訴人松江花本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができる。
被控訴人松江は、控訴人稲村から昭和四〇年四月二四日代物弁済予約完結の意思表示を受領した直後、同控訴人と折衝し、借金五〇万円を毎月五万円の割賦で弁済したい旨申入れたが拒絶されたので、期限の利益を放棄したうえ、同月三〇日、松江博とともに五〇万円を控訴人稲村方に持参した。そして、同日午後一時頃、同控訴人に出会つたので、この金員を支払おうとしたが、同控訴人から所用のため午後三時頃まで待つてもらいたいといわれたので同時刻頃まで待つた。しかし、三時をすぎても同控訴人に会うことができなかつたので、翌五月一日に横浜地方法務局磯子出張所で弁済するから登記抹消手続に必要な書類を持参されたい旨の書面を残して一旦引き上げた。そして、翌五月一日に五〇万円を準備して前記出張所で同控訴人を待つたが、同控訴人はついに同所に来なかつた。
控訴人稲村本人尋問の結果のうちこの認定に反する部分は、前掲証拠に対比して採用することができない。
以上に認定した事実によれば、被控訴人松江は、さきに認定した本件消費貸借の元本残四七万七、七二〇円と弁済期までの利息の合計額をこえる五〇万円を弁済のため現実に提供し、債務の本旨に従つた弁済提供をしたと解すべきである。よつて、被控訴人松江は、前記弁済提供の日から債務不履行により生ずべき一切の責任を免れ、こゝに、被控訴人松江の控訴人稲村に対する本件消費貸借上の債務は、元本残四七万七、七二〇円とこれに対する昭和四〇年四月二一日から同年五月二〇日までの利息制限法所定の割合による利息七、〇六六円との合計四八万四、七八六円に確定したと解すべきである。そして、被控訴人松江が、控訴人稲村に対し、昭和四一年三月二日の本件口頭弁論期日において本件消費貸借上の債権を受働債権とし前記の不当利得返還請求権五四万円を自働債権として相殺の意思表示をしたことは、本件記録により明らかであるから、こゝに前記の各債権は対当額において消滅し、被控訴人松江の控訴人稲村に対する本件消費貸借上の債務はすべて消滅したといわなければならない。よつて、本件消費貸借債務の存在を前提とする控訴人稲村の代物弁済予約上の権利は消滅したと解すべきであるから、同控訴人に対し、これを登記原因とする同控訴人名義の前記所有権移転請求権保全仮登記および所有権移転登記の抹消を求める被控訴人松江の請求は理由がある。(同被控訴人の請求のうち抵当権設定登記の抹消を求める部分は、原審において請求を棄却されているところ、同被控訴人からこの部分について不服申立はなされていないのでこの部分は当審においては審判の対象とならない。)
(被控訴人松江の控訴人稲村に対する不当利得返還請求について)
七、相殺に関する前記認定の事実によれば、相殺の結果残存する被控訴人松江の不当利得返還請求権(自働債権)は四万円をこえることが明らかである。しかし、同被控訴人は、本訴において、残存額として四万円を主張しこれを請求するにすぎないから、この四万円と、同控訴人において昭和四〇年一一月分の賃料として受領した九万円の不当利得金との合計一三万円について、同控訴人に対しその支払を求める被控訴人松江の請求は理由がある。(控訴人稲村が昭和四〇年一二月一日から同四一年七月一五日までの賃料を受領したことを前提とし、不当利得ないし不法行為を請求原因とする被控訴人松江の控訴人稲村に対する請求は、原審において棄却され、これについては同被控訴人から不服申立がなされていないので、この部分は当審においては審判の対象とならない。)
(被控訴人松江の控訴人稲村に対する建物明渡、損害金の請求について)
八、控訴人稲村が昭和四一年七月一六日以降本件(一)建物を占有していることは弁論の全趣旨によつて明らかであり、その占有の権原についてなんら立証のない本件においては、同控訴人に対し本件(一)建物の明渡を求める被控訴人松江の請求は正当である。また、同控訴人の不法占有により同被控訴人は一カ月九万円の賃料相当の損失を被つていることが明らかであるから、昭和四一年七月一六日以降建物明渡まで一カ月九万円の割合による損害金の支払を求める被控訴人松江の控訴人稲村に対する請求もまた理由がある。
九、以上のとおりであつて、これと同趣旨の原判決は正当であり、本件控訴は理由がない。よつて、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 古関敏正 栗山忍 田尾桃二)